道院長(指導者)について
各地の道院では、金剛禅総本山少林寺によって指導者として正式に認められた道院長が、責任を持って道院運営・門信徒育成を行っています。
金剛禅宗門は教えを現代社会に生かすための道であるため、道院長は本職を別に定めたうえで、社会との関わりを持ちながら「自己と他人の成長、そして金剛禅を縁とした人間関係」を最大の喜びとして無償で指導に当たっています。
道院長紹介
道院長 酒村 幸男
大導師 正範士 七段
大導師 正範士 七段
私が少林寺拳法を始めたのは入社した年(1961年)からです。
当時は会社のクラブ活動がすごく盛んで新入社員は皆さん何かの部活動をされていました。
私は柔道を習いたかったのですが(姿三四郎に憧れて)、見学に行ったのに誰もいませんでした。
寮で先輩に少林寺拳法を知っているかと尋ねられ、それが縁で修練を始めました。
当時少林寺拳法はまだ知られていませんでした、部員も10人位で黒帯が数名でした。
先生は地元の方で剣道も高段者の方でした。私が1963年に初段に合格すると先生も商売が忙しくなるので修練に来れないので君達でやってくれとのこと、それから部の指導をすることになりました。
私は現場作業をしながら新しい工場の建設計画のメンバーとなり忙しい中で仕事と修練を何とか続けました。
新しい工場はインドネシアにも建設しその担当で現地に行き草はらで少林寺拳法を始め工場勤務の若い人を集めて現地でのクラブも立ち上げ3年間活動しました。
少林寺拳法の修練を続けることが生活の一部であり家族や仲間にいい影響を与えると考え続けています。
当時は会社のクラブ活動がすごく盛んで新入社員は皆さん何かの部活動をされていました。
私は柔道を習いたかったのですが(姿三四郎に憧れて)、見学に行ったのに誰もいませんでした。
寮で先輩に少林寺拳法を知っているかと尋ねられ、それが縁で修練を始めました。
当時少林寺拳法はまだ知られていませんでした、部員も10人位で黒帯が数名でした。
先生は地元の方で剣道も高段者の方でした。私が1963年に初段に合格すると先生も商売が忙しくなるので修練に来れないので君達でやってくれとのこと、それから部の指導をすることになりました。
私は現場作業をしながら新しい工場の建設計画のメンバーとなり忙しい中で仕事と修練を何とか続けました。
新しい工場はインドネシアにも建設しその担当で現地に行き草はらで少林寺拳法を始め工場勤務の若い人を集めて現地でのクラブも立ち上げ3年間活動しました。
少林寺拳法の修練を続けることが生活の一部であり家族や仲間にいい影響を与えると考え続けています。