泉川道院のご案内
一人では出来ない仲間と成せる自分作り
泉川道院は1966年に初代道院長木下公広先生により設立されました。
2002年から酒村幸男が道院を引継ぎ現在に至っています。
金剛禅運動の人づくりを目標にして皆さんが楽しく修練して「護身練胆」「精神修養」「健康増進」の体得が出来る様に拳士が一丸となり努力しています。
今は現役拳士の数は少ないのですが、道院の行事にはOB拳士や保護者など多くの方々の参加をいただき充実した時間を持っています。
専有道場
泉川道院の専有道場には金剛禅総本山少林寺のご本尊である達磨大師像が奉られてあり、泉川道院の活動の拠点となります。
具体的な修練日、修練場所については下記の「修練日と場所について」をご覧下さい。
住所 | 愛媛県新居浜市 |
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道院長 | 酒村 幸男(大導師 正範士 七段) |
お問い合わせは/TEL 0897-36-5232
メールでのお問い合わせはこちら
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施設の特徴と所属拳士の構成について
- 50歳以上の拳士が5名以上在籍しています!
- 四段以上の拳士が5名以上在籍しています!
対象 | ・一般 (中学生以上) ・少年部 (小学生。未就学のお子様はお問い合わせ下さい) |
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性別 | 問いません |
経験 | 問いません。初めての方も、他のスポーツ経験者の方も大歓迎。 |
施設特徴 |
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修練日と場所について
【月曜日】 東原自治会館 | |
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住所 | 〒792-0813 愛媛県新居浜市下泉町2-7-1 |
交通 | JR新居浜駅から車10分 |
修練時間 | 少年部 19:30~21:00 一 般 19:30~21:00 |
地図 |
【水曜日】 東原自治会館 | |
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住所 | 〒792-0813 愛媛県新居浜市下泉町2-7-1 |
交通 | JR新居浜駅から車10分 |
修練時間 | 少年部 19:30~21:00 一 般 19:30~21:00 |
地図 |
【金曜日】 東原自治会館 | |
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住所 | 〒792-0813 愛媛県新居浜市下泉町2-7-1 |
交通 | JR新居浜駅から車10分 |
修練時間 | 少年部 19:30~21:00 一 般 19:30~21:00 |
地図 |
【土曜日】 専有道場(第1土曜) | |
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住所 | 〒792-0866 愛媛県新居浜市宇高町1丁目7-16 |
交通 | JR新居浜駅から車10分 |
修練時間 | 少年部 19:30~21:00 一 般 19:30~21:00 |
地図 |
泉川道院の沿革
道院沿革
設立年度(西暦) | 1965年 |
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沿革/役職履歴など
木下公広初代道院長が1966年2月25日に泉川道院を設立した。
木下は別子道院で修練して二段になったばかりであったが当時は新居浜には新居浜道院、別子道院,のみであり、「少林寺拳法を通じて、精神面の精進を図り、礼儀正しい青少年の健全育成を目指す」を道院のモットーにして。
設立当初は入門者が少なかったために辻説法で勧誘したと50年史に記録がある。
その後は順調に拳士が集まり公民館の道場が活気あふれていたとのこと。
現道院長は二代目で木下道院長とは同じ時期に住友の会社の支部長であり共に本山帰山や愛媛県の修練、連盟の行事に参加していた。
現道院も初代道院長の考える人つくり、開祖の教えを広めるために努力している。
木下は別子道院で修練して二段になったばかりであったが当時は新居浜には新居浜道院、別子道院,のみであり、「少林寺拳法を通じて、精神面の精進を図り、礼儀正しい青少年の健全育成を目指す」を道院のモットーにして。
設立当初は入門者が少なかったために辻説法で勧誘したと50年史に記録がある。
その後は順調に拳士が集まり公民館の道場が活気あふれていたとのこと。
現道院長は二代目で木下道院長とは同じ時期に住友の会社の支部長であり共に本山帰山や愛媛県の修練、連盟の行事に参加していた。
現道院も初代道院長の考える人つくり、開祖の教えを広めるために努力している。
泉川道院 道院長のご紹介
道院長(指導者)について
各地の道院では、金剛禅総本山少林寺によって指導者として正式に認められた道院長が、責任を持って道院運営・門信徒育成を行っています。
金剛禅宗門は教えを現代社会に生かすための道であるため、道院長は本職を別に定めたうえで、社会との関わりを持ちながら「自己と他人の成長、そして金剛禅を縁とした人間関係」を最大の喜びとして無償で指導に当たっています。
道院長紹介
道院長 酒村 幸男
大導師 正範士 七段
大導師 正範士 七段
私が少林寺拳法を始めたのは入社した年(1961年)からです。
当時は会社のクラブ活動がすごく盛んで新入社員は皆さん何かの部活動をされていました。
私は柔道を習いたかったのですが(姿三四郎に憧れて)、見学に行ったのに誰もいませんでした。
寮で先輩に少林寺拳法を知っているかと尋ねられ、それが縁で修練を始めました。
当時少林寺拳法はまだ知られていませんでした、部員も10人位で黒帯が数名でした。
先生は地元の方で剣道も高段者の方でした。私が1963年に初段に合格すると先生も商売が忙しくなるので修練に来れないので君達でやってくれとのこと、それから部の指導をすることになりました。
私は現場作業をしながら新しい工場の建設計画のメンバーとなり忙しい中で仕事と修練を何とか続けました。
新しい工場はインドネシアにも建設しその担当で現地に行き草はらで少林寺拳法を始め工場勤務の若い人を集めて現地でのクラブも立ち上げ3年間活動しました。
少林寺拳法の修練を続けることが生活の一部であり家族や仲間にいい影響を与えると考え続けています。
当時は会社のクラブ活動がすごく盛んで新入社員は皆さん何かの部活動をされていました。
私は柔道を習いたかったのですが(姿三四郎に憧れて)、見学に行ったのに誰もいませんでした。
寮で先輩に少林寺拳法を知っているかと尋ねられ、それが縁で修練を始めました。
当時少林寺拳法はまだ知られていませんでした、部員も10人位で黒帯が数名でした。
先生は地元の方で剣道も高段者の方でした。私が1963年に初段に合格すると先生も商売が忙しくなるので修練に来れないので君達でやってくれとのこと、それから部の指導をすることになりました。
私は現場作業をしながら新しい工場の建設計画のメンバーとなり忙しい中で仕事と修練を何とか続けました。
新しい工場はインドネシアにも建設しその担当で現地に行き草はらで少林寺拳法を始め工場勤務の若い人を集めて現地でのクラブも立ち上げ3年間活動しました。
少林寺拳法の修練を続けることが生活の一部であり家族や仲間にいい影響を与えると考え続けています。