道院沿革
設立年度(西暦) | 1975年 |
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沿革/役職履歴など
1969年に少林寺の門をたたいもう半世紀以上になっている。
道院長として指導にあたっても50年近くになる。
振り返ってみればと早いような慌ただしい日々であった。
一番厳しく感じたのは仕事との両立であった。
また子どもが幼い時の家庭へのサービス不足もあり多々犠牲の少林寺拳法であった。
振り返ってみれば疲れ果てていつやめようかなと思った日もある。
しかし今日は自身の健康の為と自身の心身の鍛錬の成果が十分にあったと思います。
また少林寺拳法をやっていたのが人生の柱になったともいえるのです。
若い時は無我夢中で指導で門下生集めに我武者羅でした。
一番寂しく思うのは小学生から指導して中学生になると塾や部活で辞めていくのが大半でした。
なんの為に一生懸命教えてきたのだろうか、また辞めていく者に何のために今まで頑張ったのかとよく言ったものでした。
もちろん親御さんにも説得をしました。
でも残った拳士や子どもたちを相手しているとまた頑張ろうと反対にパワーを貰っていました。
拳士も出入りが激しかったかな、初段を取るまで何人残ったのか、また少林寺拳法の改革の際、半分近くの拳士が去りました。
そんな時にはもう休止にしようかとも思いました。でも拳法馬鹿なのかすぐに立ち直り翌日にはみんなを相手に厳しく指導、ふと気が付けばそれがそれが今日です。
道院長として指導にあたっても50年近くになる。
振り返ってみればと早いような慌ただしい日々であった。
一番厳しく感じたのは仕事との両立であった。
また子どもが幼い時の家庭へのサービス不足もあり多々犠牲の少林寺拳法であった。
振り返ってみれば疲れ果てていつやめようかなと思った日もある。
しかし今日は自身の健康の為と自身の心身の鍛錬の成果が十分にあったと思います。
また少林寺拳法をやっていたのが人生の柱になったともいえるのです。
若い時は無我夢中で指導で門下生集めに我武者羅でした。
一番寂しく思うのは小学生から指導して中学生になると塾や部活で辞めていくのが大半でした。
なんの為に一生懸命教えてきたのだろうか、また辞めていく者に何のために今まで頑張ったのかとよく言ったものでした。
もちろん親御さんにも説得をしました。
でも残った拳士や子どもたちを相手しているとまた頑張ろうと反対にパワーを貰っていました。
拳士も出入りが激しかったかな、初段を取るまで何人残ったのか、また少林寺拳法の改革の際、半分近くの拳士が去りました。
そんな時にはもう休止にしようかとも思いました。でも拳法馬鹿なのかすぐに立ち直り翌日にはみんなを相手に厳しく指導、ふと気が付けばそれがそれが今日です。